行きつけの中華飯店がある。
ザーサイやひき肉を炒めた餡が器いっぱいに盛られている、一風変わった担担麺を売りにしている店だ。店に入る大体の客が、担担麺を注文する。
僕もこの担担麺をよく注文するのだが、ときおり、普通の定食メニューが食べたくなる。
「レバニラ炒め定食をください」
僕は確かに、こう言った。店員がオーダーを厨房に伝える。
「ニラレバ炒め一人前」
「……?」
なんてことない、ただ客が注文して、それを店員が厨房に伝えるだけのよくある日常風景だ。
だが僕は引っかかった。「ニラレバ炒め」という語感のおかしさに。
中国語表記は「韮菜炒牛肝」
“正しい言葉”を求めるなら、原点回帰するという発想はいたって普通だ。日本語は、古い中国語と混ざり合っている。
ましてや中華料理なのだから、中国語を調べればいい。
実際に調べてみるとどうやら、僕が「レバニラ」と呼んでいたものは、中国では「韮菜炒牛肝」や「韮菜猪肝」と表記するらしい。
つまり「韮菜(ニラ)」がアタマにある、「ニラレバ」のほうが正しいのだ。
「レバニラ炒め」派が多い理由は、『天才バカボン』
しかし僕以外にも、「レバニラ」派は多い。
その理由を調べたところ、一説には、かの有名な国民的アニメ(ないし漫画)である『天才バカボン』に由来しているそう。
赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』は、1967年に初出。その後、断続的に94年頃まで連載されている。
アニメ版は1971年から、約1年間にわたって放送。その後、『元祖天才バカボン』や『平成天才バカボン』などのシリーズとして続いていく。
そして本作の主人公・バカボンのパパの大好物が「レバニラ炒め」だったのだ。
そもそも、ニラが日本で普及し始めたのが1960年頃のこと。
当時はまだ「ニラレバ」自体の認知度も低かったので、バカボンのパパのおかげで「レバニラ」のほうが全国的に浸透していったらしい。
「ニラレバ炒め」が正規表現なのは分かったが……
中国語に基づいて正規表現として使うなら、「ニラレバ炒め」のほうが的確だと分かった。
実際に「レバニラ」と「ニラレバ」との違いを調べてみると、いくつもの記事で「正しいのはニラレバ!」と紹介されている。
しかし日本語として使うなら、なんだか違う気がする。もやもやするポイントを以下にまとめる。
- 「言葉」の正しさとは?
- 「ニラ」が先頭にくる原理は、別の日本語と矛盾していないか?
- そもそも日本語は、独自に変化させた外来語や仏教由来の言葉が多い
僕はWebコンテンツの編集者を職能としている手前、普段あまり文字に触れる機会がない人達よりは、「言葉の正しさ」に注意しているつもりだ。
しかし言葉は、普遍的なものではない。時代によって、場所によって、変化して然るべきだと思う。
たとえば、1000年前の日本人と現代人とでは会話ができないし、東京と青森の片田舎とでは全く違う言葉が同じ意味を指す。
現時点で僕が考える「言葉の正しさ」とは、「ほとんどの人に対して正しく意図が伝わる言葉」のことだ。
この考えに基づけば、結局のところ「レバニラ」か「ニラレバ」かなど、取るに足りない議論である。
結論から言えば「どっちでもいい」のだが、とくに2つ目に挙げた「この原理は、別の言葉とは矛盾していないか?」という点が引っかかるので、少し自分の考えを整理したい。
なのでここから先は、ある種の言葉遊びとして、もやもやポイントを挙げながら両者の違いを掘り下げていくことにする。
「エビチリ」の原理と矛盾していない?
そもそも中国語ではなぜ「ニラ」が先頭にくるのかが引っかかる。
2つ以上の名詞が並んだとき、主概念になる方が優先されるはずである。
「味噌汁」は「味噌」でなくてはいけない。「カニ味噌」は「カニ」でなくてはいけない。
「豚カツ」は「豚」だから成り立つし、「牛カツ」は「牛」だから成り立つのだ。
「肉じゃが」だって、「じゃが肉」にはならない。「肉」が優先される。
そして何より、「ニラレバ炒め」と同じ中華料理でも、「エビチリ」はやはり「エビ」という主概念(と思われる)が先頭に置かれているではないか。
最下位概念は形状、最上位概念は肉?
これらの代表的な和食を挙げると、名前の順番にはある規則があることに気がついた。
「形状 < 調理方法 < 野菜 < 肉・魚介」というふうに、優先度がある。そしてこの優先度が高い方から順に、料理の名前になっているのだ。
以下に、思いつく限りでまとめてみよう。「野菜」と「肉」は省略する。
【形状】
- 汁
- 丼
- 鍋
【調理方法】
- 焼き
- 蒸し
- 煮
- 漬け
「牛すき丼」「芋煮汁」「鶏のおろし鍋」などがこの例に当てはまる。「甘辛煮」「西京焼き」などのように、味の特徴や地域名がはさまれることもある。
ちなみに形状と調理法は、入れ替わることもある。例えば「茶碗蒸し」など。
この考え方は、おおむね正しいのではないだろうか。この規則に当てはめれば、日本語的には「ニラレバ」よりも「レバニラ」のほうが正しいということになる。
しかし、よく考えれば例外もあった。「鍋焼きうどん」「焼き鳥」「焼きそば」「ゆで卵」などである。
例外にも道理がとおっている?
「鍋焼きうどん」「焼き鳥」「焼きそば」「ゆで卵」という例外を挙げた。よく観察すると、あることに気がつく。
【や行の発音は難しいのでは?】
「焼き鳥」「焼きそば」「ゆで卵」の3つは、頭文字が「や行」なのである。もしかしたらこれらは、日本語の発音の難しさから、ふつうの規則から外れた言葉ではないだろうか。
たとえば日本人にとって、「ら行」が連続する言葉は、他の音韻よりも発音が難しくなるそう。ためしに「ニラレバ」と3回、声に出してみてほしい。「ラ」と「レ」の部分で、舌がせわしなく動いている気がしないだろうか。
これと同じように、「や行」が真ん中にくると、日本人にとって発音しにくいのではないかと仮説が立った。
こちらも「とりやき」「そばやき」「たまごゆで」と、それぞれ声に出してみてほしい。「や行」の部分がつながってハッキリ発音できず、少し聞こえづらい音にならないだろうか。
【アクセントの問題】
逆にアタマに「や行」がくるとき、自然と「や行」にアクセントがくる。
共通語の発音にならえば、日本語のアクセントは通常、尻下がりである。この尻下がりの部分に、より長い単語が連なることで、発音のしにくさにつながっている気がする。
たとえば「鍋焼きうどん」の例に当てはまる。
「うどん鍋焼き」と発音するときに、単語として短い「うどん」のほうにアクセントがくる。そして「鍋焼き」という、より長い語数のほうの音を下げていかなくてはならない。
この語感の悪さを避けて自然な発音にするには、「うどん鍋焼き」よりも「鍋焼きうどん」がよい。
他の中華料理とも比べてみると、答えが分かる
ここまで日本料理の名前について、仕組みを考察してきた。例外はあるが、「形状 < 調理方法 < 野菜 < 肉・魚介」という優先順位にしたがって名前がついている。
最後に、中華料理の名前と比較してみよう。まず、代表的な中華料理を挙げてみる。
- 水餃子(すいぎょうざ)
- 回鍋肉(ホイコーロー)
- 青椒肉絲(チンジャオロース)
- 棒々鶏(バンバンジー)
- 炒飯(チャーハン)
- 麻婆豆腐(マーボーどうふ)
- 水煮牛肉(スイズーニューロウ)
お気づきになっただろうか。
そう、そもそも和食の料理名と、構造が真逆になっている。
中国語で中華料理をあらわすと、先に「形状」や「調理方法」がきて、最後に「肉・魚介」などの主概念がくるのだ。
考えてみれば、ごく自然なことだ。中学や高校で習った漢文は、返り点(レ点、一二点など)がつきものだったではないか。
日本語と中国語とでは言語構造が違うのだから、「ニラレバ」と「レバニラ」のような違いが生まれるのは至極当然。
そしてやはり、日本語的に解釈するなら「レバニラ」のほうが自然なのだ。
いや、ちょっと待て、そしたら逆に「エビチリ」はなんで日本語的な順番なんだ?仮説が間違っていたのか……。
「エビチリ」は、そもそも日本語
そこで「エビチリ」の由来を調べてみた。すると、なんと「エビチリ」は中国語由来ではないことが判明。
「エビチリ」を翻訳するなら、四川料理の「乾焼蝦仁(カンシャオ・シャーレン)」が当てはまる。これなら「エビ」が後ろに置かれているので、先の仮説は論理的にも筋が通る。
なんでも「エビチリ」という料理は、創作なんだとか。
TV番組「料理の鉄人」などに出演していた陳健民(ちん・けんみん)という料理人が、日本人向けに辛みを和らげたのが「エビチリ」のはじまり。
「エビ」がアタマにくる日本語的な順番は、ここに由来していた。
まとめ
以下に、今回の記事内容をまとめる。
- 中国語では「ニラレバ」が正しい
- 和食の名前は、「肉」などのメインが頭文字になる(例外あり)
- 中華料理の場合には、「肉」などのメインが尻になる
- 「エビチリ」は日本語
まあ結局は、意味が伝わればどっちでもいいのだが、僕はこれからも堂々と「レバニラ炒め」と注文することにした。
【おまけ】和製英語や仏教由来の言葉
由来となった言葉を「そのまま」使うことが「正しい」とする意見もあるだろう。しかしその原理は、もはや多くの日本語のなかで通用しない。「和製英語」と「仏教用語」の例を挙げる。
ここで書く内容は、本当は本文中で触れようと思ったが、少し本題から逸れてしまうため“おまけ”として紹介する。
和製英語
たとえば日本人が「シュークリーム」というとき、イメージするのはふんわり焼いた生地にクリームを詰め込んだ、あの丸い洋菓子だろう。
しかしこのお菓子を英語に翻訳すると「cream puff(クリーム・パフ)」である。さらに「シュークリーム」の由来となったのはフランス語の「chou a la creme(シュー・ア・ラ・クレーム)」だ。
先の原理を用いるなら、どちらを由来として呼ぶにしても、「シュークリーム」は正しい言葉とは言えないわけだ。しかし日本人にとっては「クリーム・パフ」よりも一般的であり、意味が伝わる。
本題に置き換えると、原理的に「レバニラ」は正しい言葉とは言えない。しかし日本人にとっては「ニラレバ」よりも一般的であり、意味が伝わる。
「レバ」と「ニラ」とが並列的で、どちらが先にきても意味そのものは伝わるため混乱してしまいそうだが、論理的に考えると、これらは同等の結論だと言えるはずだ。
日本語のなかには、こういった「和製英語」や「カタカナ語」だけではなく、他にもたくさんの要素が詰まっている。たとえば、仏教用語は最たる例と言えるだろう。
仏教用語
※専門的な知識には乏しいため、誤り等があれば優しくご指摘いただきたい。
仏教が日本に伝来したのは、諸説あるものの、おおむね5~6世紀のあいだだと考えられている。聖徳太子がいくつもの寺院を建立し、仏教を広げていったというのが通説だ。
その後、日本独自の宗教体系として発展していき、そのなかで本地垂迹説や神仏習合などといった、民間信仰との結びつきも見られるようになっていく。
そんななかで、仏教は日常会話レベルの日本語に影響を与えるようになってくる。
四苦八苦
僕がパッと思いつくのは「四苦八苦」という言葉。
「苦労を重ねる」という意味で使われるが、これは本来、人間が生きるうえで避けては通れない「苦」を、具体的にあらわす言葉である。
※四苦は生老病死。八苦は愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。
具体的にこの8つの「苦」を知っているかどうかは置いておくとしても、「生きていくうえで“避けられない”もの」として「四苦八苦」という言葉を使っている人が、現在の日本にいるだろうか。
諦(たい)、諦める
また「諦(たい)」という言葉も仏教に由来している。「諦める」というときには「なにかを達成せずに、途中でやめる」という意味で使われる。
しかし本来の意味は「真理を明らかにすること」である。
発音からもわかるように「諦める=(真理を)明らめる/明らかにする」というのが、もともとの意味。
そして「苦諦(くたい)」というと、「この世(人生)の本質は、四苦八苦であると明らかになった状態」をあらわす言葉になる。
ここで紹介したもの以外にも、「一期一会」「愛嬌」「退屈」「達者」「世間」「不思議」などなど、仏教由来の言葉は、日常会話レベルで使用されている。しかしいずれも、原典の意味とは少し違っているのだ。
和製英語や仏教由来の現代語は「間違い」か?
突飛な疑問を投げるようだけれど、「通訳」や「翻訳」という職業はなぜ存在しているのだろうか。
言わずもがな、言語が異なる二者間の耳となり口となるため。「意味を伝える」ためだ。
原典どおり、辞書どおりの原義を伝えるためではない。あくまで我々に伝わるような、一般化された現代語を用いる。
そして必要であれば、よりわかりやすい言葉に言い換えることもあるのだ。
「相手の言葉を厳密に分解し、文化的・歴史的背景を踏まえたニュアンスまで再現して、それを相手に理解させる」というのは、少なくとも通訳者や翻訳者の仕事ではない。(もちろん最大限の思慮・配慮は必要だが)
まして翻訳者でもない我々にとって、「中国語の由来に基づいて考えれば、ニラレバが正しい」という話は、「“ら抜き”言葉は正しくない」という話と同レベルだろう。
ある程度ひろく一般化された言葉であるなら、「間違い」ではない限り、「正しい」と言ってよいのではないだろうか。
なぜなら前述のとおり、言葉とは時代や地域によって変わりゆくナマモノだからである。