漫画『ボタボタ』板垣巴留が描く、ヒト科生物の性と愛の本質 | レビュー・感想・考察

『ボタボタ』 板垣巴留 サムネイル 漫画

板垣巴留の漫画『ボタボタ』(2021年4月8日発売)を読みました。

前作の『BEASTERS』や、短編集『BEAST COMPLEX』とはうってかわり、今回描かれるのは動物ではなくて人間です。

ただどちらかと言えば、「人間の物語」というよりも「ヒト科生物の物語」と言ったほうが近い気がします。

もちろん僕の目線が“『BEASTERS』の読者”だから、絵柄やバイアスで動物キャラクターの面影を見ている、という部分もあるでしょう。

しかしそれ以上に、「ヒトが抱える生物としての矛盾」というテーマが描かれているような気がしたのです。

『ボタボタ』板垣巴留

あらすじ

大ヒット作、動物版青春ヒューマンドラマ「BEASTARS-ビースターズー」の板垣巴留が描く初の“人間漫画”コミックス!!主人公・氷刈真子は、極度の潔癖症で、汚いものに触れると鼻血が出るという特異体質を持つ。故に男女の触れ合いは困難。そんな彼女が愛を求める物語。そして、板垣巴留、人間漫画デビュー作読切「白ヒゲとボイン」も収録。

『ボタボタ』 | 日本文芸社

読み切りの『白ひげとボイン』も、面白い着想の作品でした。とある風俗嬢と、彼女を指名した奇妙なおじさんとの、少し不思議な会話が描かれています。

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板垣巴留(いたがきぱる)

2016年3月、週刊少年チャンピオン(秋田書店)にて4号連続の読み切り作「BEAST COMPLEX」でデビュー。読み切りの好評を受け、同年9月に「BEASTARS」を連載開始した。「BEASTARS」「BEAST COMPLEX」ともに、草食動物と肉食動物が共生する世界を描いている。2017年、「BEASTARS」で宝島社が刊行する「このマンガがすごい!2018」オトコ編で第2位を獲得。2018年には同作が第11回マンガ大賞、第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第22回手塚治虫文化賞新生賞、第42回講談社漫画賞少年部門を受賞した。

板垣巴留 | コミックナタリー

父は『グラップラー刃牙』の板垣恵介。家族のことを中心に描いたエッセイ漫画『パルノグラフィティ』では父との関係性についても触れられていて、興味深かったです。

板垣巴留(@itaparu99) | Twitter

ヒト科生物の「性」と「愛」

主人公は氷刈真子(ひがりまこ)。極度の潔癖症で、汚いものに触れると鼻血を噴き出してしまう特殊体質。

「汚いもの」の中には、「人間」も含まれています。

そう。彼女は人間に触れることでも、大量の鼻血を噴き出してしまうのです。

そんな彼女はこの体質を克服するために、誰にでも彼にでも「セックスをしよう」と持ちかける、ちょっとヤバい奴になってしまいました。

「愛は汚くないと教えてほしい」「普通の人間になりたい」というのが彼女の望みです。

しかしいざホテルに入ると、やはり相手の男性はドン引き。氷刈もまた、男性のアソコを煮沸消毒しようとするという暴走ぶり。

なかなかのイカレ具合ですね。(笑)

愛を知るために性を知る?

氷刈真子が潔癖症になった原因は、彼女の両親にあります。父親が浮気したことを原因に母親が神経質になり、氷刈もまたヒトの汚さに対して敏感になったのです。

ヒト科生物は、動物の中でもかなり特殊な社会を築いています。

本能だけで生きるのではなく、理性で抑制する。本音を言うのでなく、建前で関係性を保つ。そして性的衝動だけによって子孫を残すのでなく、愛をもって“つがい”になる――。

動物的に自然な営みは、人間にとっては不自然なのです。『ボタボタ』のテーマは、この矛盾ではないでしょうか。

人間だけが表現できる心理的・感情的な「愛」と、動物としての生存戦略的・本能的な「性(SEX)」。

この2つの要素に、人々はどうやって折り合いをつけているのだろう。「愛」と「性」とは不可分か、それとも――。『ボタボタ』を読んで、そう問われた気がしました。

主人公・氷刈真子の場合には、「愛を知りたいから、セックスをしよう」というふうに、人間にとって「愛」と「性」とは不可分なものだと考えていたようです。

ただしそれは、あくまで彼女が「普通のヒト」になろうとしていたから。「愛すればセックスをするものだ」という一般論からきているものです。

むしろ彼女自身の内側では、「愛」と「性」とがバラバラだから悩んでいました。

本当の愛ってなに?

このツイートにあるコマ、高校生のときの僕はまさしく同じことを考えていました。

僕は恋愛に限らず人間関係に対してとても奥手なタイプで、ヒトの感情がわからなさすぎて恐怖することがありました。(今はそこまでではないですが)

恋愛に関しては、「愛」というものを過剰に神聖化していたというか、「えっ、好き=セックスしたいってことなの!?」と、思春期で変化していく周りの友達についていけないところがあったのです。

僕は基本的に、「愛を深めていって、その結果として部分的にセックスという行為が生まれる」と考えています。(書いていて恥ずかしいけど……)

でも実際には性に奔放なヒトは多いし、セックスをしたからといって「結婚しよう」と展開するわけでもない。

「ただセックスをする」という非常に動物的な行動が、理性から成るはずの人間社会において成立しているのです。

これは非常に奇妙なことではないでしょうか。いいえ、よく考えてみれば何も不思議ではないことに気が付きます。だって人間は、ヒト科の「動物」なのですから。

でも、人間がただの「動物」なんだとしたら、「本当の愛」ってなんなのでしょうか。これもやはり動物的な本能なのでしょうか。

自分らしい「性」と「愛」を

板垣巴留の漫画『ボタボタ』を読んで考えたことを、つらつらと書きました。

漫画の結末はぜひご自身の目で確かめてみてほしいのですが、氷刈真子が出した結論は「自分らしく、本当の愛をこれからも探していく」というものでした。

僕個人の考えの落とし所としても、似たような結論に至ります。

結局、一番の問題は「人間」とか「世間」とか、括りで一般化して考えちゃうことなんだと思います。

往々にして、疑問を持たずに「普通は~」とか「みんなは~」とか、“あるべき像”に縛られることは多いです。でも、ヒトはみんな違う性格だし、違う考え方だし、違うものを好むし、違うものを嫌うし――。

だから「セックスできないけど、愛している」とかも全然ありなんじゃないでしょうか?「セックスはするけど、愛していない」があるように。

「自己実現」という言葉は、社会的身分・ステータスによく使われる言葉ですが、「性」と「愛」とにおいても、自分らしさを追求することが何より大切なんだと思います。

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